2013-08-30

僕がブログやTwitterを始めた当初、僕は自分のプロフィールに自分の学歴やら経歴やらを載せていた。

経歴(得に学歴)だけはいっちょまえな僕である。知人友人のよいしょもあって予期せぬほど読者は急激に増えた。僕みたいな変な人間が日本語で何か書いているのは比較的珍しかったからだろう。正直有頂天になっていたと思う。

しかし一年程過ぎたころ、自分の素性を一切出さずに文章な内容だけで勝負するほうがよいのではないかという考えを友人から聞いた。実際彼はブログ開設から今日までの間、略歴に経歴や学歴を大々的に載せた事は無い。記事内で必要な時だけ自分の過去に触れるだけだ。実際彼は文章がかなりうまく構成も面白いので読者は着実に増えた。実力勝負が身を結んだと言える。

僕が自分の詳細な経歴をサイトから消してもう2年ほどにもなる。しかし今は思う。たとえ姑息でも読んでもらえなければ文章など意味は無いんじゃないかと。読んでもらうためには恥知らずなことでもするべきなんじゃないかと。

もしそうなら文章とは独立した「自分自身」を客寄せパンダとして使い、晒すこと自体は悪では無いのではないかと思う。重要なのは自分を安売りして何を成すかだろう。

それなりに偉そうなことを書くならそれ相応な偉そうな経歴を晒すことは必要悪なんじゃないかと今の僕は思う。

以前は社名は絶対に出さなかった。今度は出そう。確実に火の粉は降るだろう。覚悟は出来てないが待っていたらいつまでも待つことになる。

この考えは将来また変わるかもしれない。けど今は潔癖を捨ててまた沼地を行こうと思う。

略歴

2013-08-29

よく日本在住や在米日本人の知識人たちの「アメリカではこうだ!日本も考えを改めるべきだ!」というブログやつぶやきを見かける。2010年に日本から帰ってきた当初は僕自身青かったこともあり結構同感していたり、自分でも思い返すと恥ずかしいエントリを書いたりしていたのだが、最近こういうものを見ると、「彼らのいうアメリカって一体なんだよ」と思わざるを得ない。

この心境は友人のつぶやきが非常に的を得ていると思う。


僕はアメリカ生まれ育ち、人生の大半をこの国で過ごしているが、自分が「アメリカ」を知っているとは思わない。というか、思えるわけがない。まずこれを見て欲しい。

これは大雑把なアメリカの地域を表した図だ。九つの地域に分かれているが、地域ごとに文化的背景も人種分布も政治的思想も宗教感も違う。もっと細かく言うと50ある州のひとつひとつが独特の背景と思想をもっている。最低でも各地域に数年以上住まない限りそこを知っているとは言い難い。

僕自身、カリフォルニア州とニュージャージー州にしか住んだことがないので、打率は2/9で「アメリカ」を知っているとはとても言えない。それにこのサイトを見てもらえればわかるが、一つの街でも人種の隔がすごいのがアメリカだ。僕自身生まれ育ったのは8割白人、2割アジア人の富裕層が多く住む街だ。たとえひとつの街に数年住んでもその地域を本当に知っているとは言えない。

僕自身、学校は幼稚園以前から大学院までの19年間を全て私立で過ごし、大学に行くまでは黒人の友人もラテン系の友人も一人もいなかったような人間だ。生まれ育ったベイエリアも、黒人やラテン系の人たちが多く住むEast Palo Alto や Oaklandにはほとんど足を踏み入れた事すら無い。目と鼻の先のSan Joseすら弁護士と会計士に会いに行く以外はほとんど行かない。こんな人間がアメリカを知ってるとは、たとえ20年以上住んでいて、友人からは「お前はアジア系アメリカ人というより中身は白人に近い」と言われても、言えない。僕が知っているのはアメリカのごく一部の地域の、知識層・富裕層のことだけだ。アメリカの95%くらいのことは理解していない。

僕は南部のことは分からないし、中西部のことも分からない。NYCネイティブの人たちの考え方は意味不明だし、モンタナ州やワイオミング州の何も無いように思えるところがどうなっているのかは見当がつかない。知っているのは20エーカーの土地が5万ドルで買えるということだけだ。

アメリカというのは世界でも有数の多様な国だ。ここ以上に多様な国はインドと中国くらいのものじゃないだろうか。

そもそも考えて欲しい。日本国内も相当に多様だ。東京の常識は大阪では通じないし、北海道民の考え方は沖縄民の人たちとは似ても似つかないだろう。東京23区内ですら移民が多い大久保町やら怪しげな新宿三丁目などいろいろある。東京育ちでも東京を本当に知っていると言える人はそうそう居ないんじゃないだろうかと思う。そう考えると、よくある「知れば知るほど自分の無知を知る」というよくあるセオリーに該当するんじゃないと思う。

さて冒頭の話に戻そう。よく在米日本人やちょっとアメリカに留学したような人たちがよく「アメリカが~~」なんて言っている。しかし彼らの内何人がこの国の複数ある地域の全てに住み、その中にある数多くのコミュニティや各階級の内で時間を過ごしたのだろうか。ひいき目に見てもそう多くは無いだろう。

大体の人はいい大学に留学し、いい仕事に付き、いい地域で暮らし、自分と似たような友人知人と過ごす。僕だってそうだ。それ自体は素晴らしいことであって、彼らの努力の賜物であり、賞賛されるべきものだ。

けど自分が知るアメリカのごく一部の本当に恵まれたところだけを見て「アメリカは~~」と語るのは、語る本人はどうでもいいとしても聞き手、読み手に対しては無責任だ。決めるのは当人の責任だが、誤発信は発信元の責任だ。

僕の個人的意見としては、「アメリカは~~」というような人でエリート的な人たちはアメリカのごく一部のことを言っているのであり、決してアメリカ全体のことを言っているのではないと思う。彼らとしては「そんなの当たり前だろう」というかもしれないが、明確にしていなければ誤解が生まれるのは必至だ。

なので彼らの言葉を聞く立場の日本在住の人たちはこのことを常に念頭に置いておくべきだと思う。別に彼らにも悪気は無い。ただその辺を考慮する必要性を感じてないだけだろう。けど振り回されるのはたまったもんじゃ無い。

"Take it with a grain of salt"というやつだ。


追記:僕の知っている、本当にこの国に来て背水の陣で退路の無い戦いをしてきた人は自分やこの国のことを母国に発信したりしないのは個人的には面白いと思う。


出典: learner.org

2013-07-29

グーグルの初期のエンジニアのひとりにChade-Meng Tanというエキセントリックな人がいる。訪問する著名人とツーショットを撮りまくってることで知られていたり、Eric Schmidtにはトラブルメイカーと冗談半分に呼ばれたりと一風変わった人だ。ちなみに現在のグーグルでの肩書きは"jolly good fellow"、「ハッピーないい奴」らしい。

そんなおちゃらけた彼だが、2011年に「正しいことをして、クビにされるのを待つ 」正しいことをして、クビにされるのを待つ (Do the Right Thing, Wait to Get Fired)というちょっとまじめな記事を書いているので紹介したい。


New Google employees (we call "Nooglers") often ask me what makes me effective at what I do. I tell them only half-jokingly that it's very simple: I do the Right Thing for Google and the world, and then I sit back and wait to get fired. If I don't get fired, I've done the Right Thing for everyone. If I do get fired, this is the wrong employer to work for in the first place. So, either way, I win. That is my career strategy.
I discovered where I got this rebel streak from only very recently. I realized I inherited it from my dad, which was very strange to me because when I was growing up, I perceived my dad as an establishment figure, part of the very establishment I was rebelling against, so it was a severe cognitive dissonance for me to think of my dad as a rebel. But rebel he was.
My dad started his career as a child laborer (yes, one of those millions of faceless children in developing countries you read about occasionally on National Geographic), but by mid-career, he rose up the ranks to become one of the most senior military officers in all of Singapore. I recently learned that one reason he was so successful was because he was unafraid to speak the unpleasant truth to his superiors to their faces, including Defense Ministers and Prime Ministers. Near the end of his military career, one of his superiors asked him what made him so effective. My father replied, "It's very simple. Everyday on my drive home, I would pass by HDB flats (public housing in Singapore) and I would always take an extra look at them. Why? Because after you fire me, that is where I'd live."
Some day, when you reach my old age, spend some time talking to your father about his career, you may be pleasantly horrified to discover how much you are like your father.
グーグルの新入社員(社内ではニューグラーってよんでる)はよく僕に「あなたの仕事の秘訣はなんですか?」って聞いてくる。僕は冗談半分(けど冗談は半分だけ)にこう返す:僕はグーグルと世の中にとって正しいことをして、あとはクビになるのを待つんだ。クビにならなかったらみんなのために正しいことをしたってことだ。逆にもしクビになったらもともとこの雇い主のところで働くのは間違ってたってことだ。どっちにころんでも僕にとってはいい結果になる。win-winだ。これが僕のキャリア戦略だ。
実は僕の反乱癖がどこから来たのかが分かったのはごく最近のことだ。僕のこの習性は父さん譲りだということだと分かったんだけど、正直妙な気分になった。なぜなら僕は父のことは反乱者としてはなく反乱の対象そのものとして見ていたからだ。なので父さんを「反乱者」としてとらえるのはちょっと難しかった。だけど父はやはり反乱者だった。
父さんな「キャリア」は児童労働者から始まったが(そう、ナショナルジオグラフィックでたまに出てくる名もない発展途上国の子供たちのあれだ)、キャリア中間にもなるとシンガポール軍でもっとも上位の将校になっていた。最近知ったのだが、父がこうも成功した理由に一つは不都合な真実を国防総監や総理大臣も含む上司に面と向かって言うことを躊躇しなかったかららしい。父のキャリアも終わりに近づいたころ、上官のひとりが父をこうも効果的たらしめている秘訣は何かと聞いたそうだ。父はこう言った、「簡単な事です。私は毎日家に帰るときにHDB住宅(シンガポールの公営住宅)のそばを通るのですが、必ずもう一度しっかり見るようにしています。あなたが私をクビにしたあとは私はそこに住むことになるからです。
いつか僕くらい年を取ったら父のキャリアについて話してみるといいよ。いかに父親に自分が似ているか面白くもぞっとするかもしれない。


自分の身を顧みない「正しいこと」をしつづけて生きるのは倫理的に生きれて精神的にも健康的に生きれると思う。変はストレスや悩みを抱え込んでしまうことも減ると思う。

けどクビになった後に問題なく今と同等の仕事にありつける絶対の自信が無い限り、利口な生き方ではないと思う。そしてたとえ自分が倫理的に生き、仕事をしていても、そうでない人を卑下にしてはいけないのかもしれない。だれもが自分ほど能力、選択肢、経歴、ネットワークに恵まれている訳ではないし、自分ほど身軽ではないかもしれない(妻子持ちなど)。

筆者の生き方は倫理的は強者の生き方の理想型かもしれないが、それを弱者に強要したらその時点で自分のモラルは損なわれるのではないかと感じている。

自分は自分のモラルに基づいて生きるがそれを回りに強制はしない。困難な生き方だけど正しさで言えばそれが一番正しいのではないだろうか。その生き様を示すことにより可能な範囲でまわりの人間も行動を改める可能性を作る。それでいいのではないかと思う。

筆者が僕にそういう影響を与えてくれたように。

2013-05-25

ASUSをどう発音したらいいのか分からないのはどうやら世界共通の問題のようだ。

via @suruli

2013-05-12

@Miyagawaさんのポッドキャストep10は先日開催されたRailsconfの話が多かった。個人的にはカンザスの話が印象に残っているのでアメリカ人の視点からちょっと補足したい。

背景としては、DHHが「Rails4.0出てみんな移行しようと頑張ってると思うんだけど、2.3に留まる人たちもいるみたいだ。アメリカの大開拓時代に例えると皆一斉に"Go West!"な感じでカリフォルニアやオレゴンを目指してるんだろうけど、『うちはまあカンザスでいいかなー』って感じなんだろうね」みたいな事を言ったそうな。**

会場は大爆笑だったらしいし、実際僕も声を出して笑ってしまった。けどポッドキャストを聞いていると、「アメリカ史」を知らないと何がそんなに面白いのか分からないらしい。確かに言われてみればアメリカの地理とかカンザスがどんなイメージなのかを知らないと正直イミフだ。なのでジョークを解説されるほどジョークを殺すものは無いと知りつつも、少しばかり説明したい。

まずは大開拓時代だけど、これは連邦政府が未開の領地を開発するために無償で土地を市民に与えたのがきっかけで、より良い明日を求めて一家全員で全財産を持ち、キャラバンで命がけで与えられた「西」の土地を目指したり、また別の時代ではカリフォルニアで金を掘り当てて一攫千金のために西を目指したりなど、聞くと夢やロマンや人々の希望や苦しみを連想させられるフレーズなのだ。[1]

次にカンザスだけど、1821年には既にミズーリ州が開拓されているので、地理的にもお手頃感がある。同時期にメキシコがスペインから独立して国境を開け放ったことで、西部開拓は「手近な中西部で手を打つ」か「最果てまで西に行くか」で二極化する[2]。なので1800年代の開拓時代においてカンザスは「妥当なところで手を打とう」となる。

けどこれだけだと「俺今うまいこと言った!」で終わってしまう。そこで今現在のカンザスのイメージを引っ張って来よう。カンザスは「いいところ」だけど、結構な田舎なイメージだ。今でこそGoogle Fiberがロールアウトしてちょっとナウな感じになっているが、オズの魔法使いのカンザスとドロシーのあのド田舎イメージを幼少期に植え付けられる儀式を誰もが通過するので、実際のカンザスがどうであれ、田舎イメージは付きまとう。

あえてまとめるなら、「みんなは『ガンガンいこうぜ』で頑張ってるけど、『いのちだいじに』で縮こまってる連中もいるな」だろうか。「おまえらちょっとださいよ」という意味もあるだろう。このギャップと会場のテンションとが相まって笑ってしまう。**

さてこんな解説をしてしまったせいできっと肝心のジョークは全く面白く無くなってしまっただろうからそろそろ幕引きにしよう。*踵を3回打ち合わせて彼方へと飛び去っていく*

**@miyagawaさんの情報を元に一部訂正しました。
[1] http://www.u-s-history.com/pages/h276.html
[2] 当時メキシコは現在のカリフォルニア、テキサス、ニューメキシコを含む広大な国だった。まあ今でも十分でっかいけど。