2013-12-07

僕はもともとウェブ系エンジニアでは無いのだけど、Fluentdにかかわるようになってからは日本のエンジニアコミュニティとはちょっとつるんだり茶々を入れ合うようになってる。[1]

ハッカーニュースに代表される欧米(特にSF)のエンジニアともネットを通した交流もあるので、はてな民的日本エンジニアとHN民的のSFエンジニアを見比べることができる立ち位置だと思う。[2]

そんなこんなで両コミュニティに片足ず突っ込んで早二年。ツイッターやブログを読んでて思うのは:

  1. 日本のエンジニアは真摯な気がする
  2. SFのエンジニアかっこつけすぎじゃない?

HN民的エンジニアは俗に言う「俺スゲー!見て見て!聞いて聞いて!」な人たちが多いと思う。こっちだと面接ではどんな失敗もポジティブに言いくるめるように叩き込まれるからか、失敗談も恰好よくラッピングされている。本当にダサい失敗談とかほとんど目にしない。「カウンターカルチャーでスタートアップな俺カッコイイ」と言った感じの文脈が多い。事実は別でも、外面はそんな感じ。[3]

逆に日本のはてな界隈は淡々と技術の事例を綴ったり、恰好悪い悩みや葛藤も結構おおっぴらに書いたりしている。失敗は失敗であって、無理やりプラス方向に話を持って行ったりもしていないと思う。その姿勢は僕は真摯だと思うし、正直ホームであるSF界隈のノリよりよっぽど親近感も好感も持てる。

こっちではネタでもノリでも闇 Advent Calendar 2013なんて開催されないと思うし、ましてや現在進行形での悩みと葛藤満点なブログ記事なんてもってのほかだと思う。失敗談はすべてが終わってから語られる。進行中の間は良い側面のことしかしゃべらない。実際僕自身、就職・転職を考慮すると正直な気持ちはブログに書くわけにはいかなくて悩んだ時期があった。というかその時期はかなり長かった。下にいくつかの記事から抜粋するが、数週間前にいろいろと吹っ切れるまではこういう内容のものは僕には公に書けなかっただろうと思う。

かくいう自分も、闇という程でもないが、SEとして働きながら心療内科に通っていた時期がある。新卒で就職した最初の会社にいた頃で、その頃は「仕事がつまらなすぎ」て体を壊すという珍しい経験をした。別に激務だった訳じゃない。ほぼ定時で帰ってた。それなのに、毎日の仕事が退屈過ぎて、周りが全然技術に興味がなくて、ホントにアイティー企業かここは!?みたいな青臭い苛立ちを抱えていた。手を動かしたいけど当時の俺はマネジメント側でコードの1行も書けない。協力会社のバグ調査を手伝う振りしてこっそり書いていたけど、堂々とコードを書かせてもらえない環境に凄く嫌気が差していた。あの時は「心の闇」みたいなものが相当溜まっていたのだと思う。
...
そんな折、新しい心の闇の払い方を覚えた。「マサカリをぶん投げられて流血する」である。鼻っ柱を折られる、とも言う。たまに勉強会やその後の懇親会でベテランエンジニアと話をしているとたまにこれを食らう。ものによるが、大体凹む。特に基礎レベルの話で「あ、俺これ普段やってることなのに説明できない…」と思ってしまった瞬間がやばくて、自分は所詮仕事で使ってるコードをメンテして動かしてるだけの人間でゼロからものを作ることなど出来ぬ人間なのだ、とか色んなネガティブなことをその場では感じる。
でもこのマサカリこそが大事なのだ。マサカリを投げられることで、投げられたマサカリを投げ返せるようにそ突っ込まれた分野を必死勉強し始めて、次に会った時に少しは成長したなと思われたいと思い始めることが出来た。今だと「webを支える技術」を行き帰りの電車や昼休みに読み直したりしている。
...
こんなことをしていると大分気持ちがラクになった。自分が何がしたいか分からない、どういうエンジニアを目指せばいいか分からない、というのもここ半年ぐらいずっと悩んでいて禿げそうになっていたが、たまたま最近受けた数回のマサカリにより、まずはエンジニアとして恥ずかしくない仕事が出来るようになろう、と思えるようになって、大分目の前がスッキリしてきた気がする。

エンジニアの心の闇を祓うマサカリ療法 @seri_k

しかし、そういうことをやっているとどんどん周囲と考えが離れていくのを感じる。技術の話をしても噛み合わないことが増えてきているような気がする。
Rubyやnode.jsかじったやつが使ったこともないのにPHPやJavaを叩いてるのを見るとぶん殴りたくなる。 RDBの大した知識もないのに「MySQLはめんどうそうなので、MongoDBを使おう」などと提案されると軽蔑してしまうしそいつとは仕事したくない。
このままいくと将来こんなことを言ってしまうかもしれない 「プロダクションでnode.js使うの?いいけど何か問題が起きたとき対応できるの?nodeのソースコードすら追えないじゃ困るじゃん。C++も読めないのに偉そうなこと言うなよ」
そして老害になる

そして老害になる @yayugu

25歳定年説
探究心や独創性によって、物事が非線形な進化を遂げることもあると思う。 もし、開発者に対してこういった活動を行うための時間が1%も用意されていないのであれば、それは残念な状態だと思う。 それに、こういった活動で成果を上げるには、数時間から十数時間の周期でモチベーションを持続させる必要がある。 もし、さも人間の活動時間が何故か30分単位で等しく交換可能なものとして扱われていたり、 さも24時間周期でリセット可能なもののように扱われているのであれば、それは非常に残念な状態だと思う。 こういった状態で創作活動を行う方法は、 十割以上の圧力をかけて働いて、余った時間で周囲にバレないように内職を行うか、 仕事後の余暇を利用して開発することぐらいだと思う。 Autodocも、Sitespecも、Rack::Multiplexerも、Replicatも、Chankoも、 表面だけ捉えればいい話っぽいが、その大部分は余暇を利用して作られている。 コードを書かなかった週末が思い出せない。 その内、精神的な意味で体力というものが薄れ、週末にこういった活動に割く気力が無くなったとき、 ハッカーとしてはそこで死んでしまうのだと思う。そのことがただ悲しい。 何となくそういう予兆は感じられているし、あと2年もすればそのときは訪れると思う。 若者の界隈で、25歳定年説と呼んで震えている。 特にこの事実について何か主張があるわけではないが、ただこの社会は厳しいということに尽きる。 社会は厳しいの一言で思考停止するのをやめたい。 社会の斥力に負けて、心の弾力を失いたくはない。 無限に活動を続けていたい。

Autodoc @r7kamura

闇を表に出さないと、「フェイスブック症候群」のように実際はそうでないのに皆幸せ絶頂悩みゼロな世界に見えてしまう。そういう空気があるのがこっち側のエンジニア界隈の闇なのかもしれない。[4]




[1] 元々の専門は電子工学だけど、もう半導体の数式もロクに解けないと思う。

[2] ハッカーニュースはスタートアップアクセラレータのYCombinatorが運営する掲示板。まあスタートアップとテクノロジーに超特化したはてぶみたいなものだと考えてもらえればいいと思う。

[3] そういう人達の声がでかいだけかもしれないけど。

[4] (今回ウェブ系に絞ったけど、他意があるわけではなく単にこの界隈としか交流が無いだけなのであしからず)

2013-12-06

みなさんの夢に出てくる人って何語でしゃべってます?僕は学校に戻ってくるまでは実家住まい(家族とは日本語)だったんですが、そのころは95%以上の確率で日本語でした。アメリカ人の友人が夢に出てきても日本語でしゃべってきます。中南米でゲリラ戦をしているような訳わからん夢も日本語。奇妙なもんです。

けど学校に戻ってくると会話は100%英語、読書も90%英語の日々なので、一ヶ月もすると夢が英語になったのに気づきました。ちなみにこのあたり(9月末)に日本人留学生15人くらいと飲み食いしたときは日本語が壊滅的なほど出てきませんでした(笑)。

友人にモルモン教のミッションで南米に2年行ってた人がいるんですが彼は到着してから六ヶ月すると夢がスペイン語になったそうです。

言語学習において夢のことばって一つの指標なんじゃないかなと思ってます。逆に留学などで渡米していて半年経っても夢が英語になったりしないならきっと母国語しゃべりすぎ・読みすぎなんじゃないかなーって思います。

(英語習得のプライオリティが高い人に限った話ですが)

2013-12-05

「A bit of time」というフレーズ、直訳すると「ちょっとの時間」なんだけど、意味は「結構時間かかるよ」なので英語まじふぁっくですね。真逆やん!

あと形容詞を助動詞に活用(?)するときは「ly」を語尾に足すわけなんだけど、Hard(難しい)にこれをするとHardly(ほとんど無し)という全く違う言葉になるという罠。

いやあ英語やっぱりうんこ言語ですわ。

2013-12-04

「学校」って特殊な空間ですよね。会社と違って一緒に何かやらないといけないわけですし、道端の大通りの人の集まりとももちろん全然違う。別に知り合いにならなくてもいいし、話さなくてもいいんですが、ちょっと掘ってみると誰からでも何か学ぶことがあって、自分がちょっとかわる、そんなところです。

それに毎日顔を突き合わせてしがらみにがんじがらめにされながら一緒に何かしなくてもいいので、何かと楽です。失敗してもすべて何もかもテンポラリーです(日本語で何ていうのかわからないのでもうテキトーに横文字を使っていくことにします。書くのがストレスフルなブログとかやってられん!)。誰かに変なこと言ってもちょっと2週間ほど顔を合わせないようにしておけばすべて風に流されて情景のように消えていく世界です。ちょっとなに言ってるかわからないですね、ハイ。

とまあ勢いに任せて書いている節はあるどころか全開MAXなのですが、学校ってどの世界も「クラスタ」ってできますよね。強制な部分が少ないと分裂するんですよ、人間。分裂しないほうが学べると念頭に置いているMBA生も別れまくっていて滑稽です。問題提起は留学生側からもドメ学生側からもされるんですが、みんな忙しいのであまりどうにもならないです。だって似た人間といるほうが楽ですもん。しゃーないです。

日本だと人気グループだとか非モテグループだとかがよく漫画とかに乗ってますが、単に仲がいい集まりという区切りにするとそういうプチソサエティっていっぱいあったと思います。んで日本の大学だと留学生ってそんなに多くないと思うんですが、こっちだと学校によっては3割が留学生だったりします。

学部はさすがにこんなにいませんでしたが、でも人種とか文化的背景なんかで分かれていくんですよね。かくいう僕も社会文化的背景はちょっと保守的寄りな白人ソサエティのものなので、学部の仲間も7割くらいそんな感じでした。んで、東洋系アメリカ人は自分たち同士でつるむし、黒人は黒人同士でつるむし、「あの中国人留学生グループ中国語を大声でしゃべっててうるせー」ってなったりもします。

さてこの「しゃべっててうるせー」ですが、たとえうるさくなくてもじつはちょっと問題なのです。このブログは日本語が読める人向けに書かれているので、日本留学生が4・5人ほど集まって授業後に日本語で話しているとしましょう。全員日本人なんだし、英語をわざわざ使う必要なんてないですよね。けどその傍を白人のにーちゃんZ君が通ります。東洋人留学生のA君やBさんが母国語で生き生きと談笑している。自分でも気づいてないかもしれませんが、Z君は多分ちょっとだけ「ああ彼らは自分たちでいるのがいいんだろうな。」と感じるでしょう。もしCさんに言いたいことがあったなら、また次の機会でいいか、と思ってそのまま次の授業に行くかもしれません。近寄り難いと感じ、知らず知らずのうちに距離を置くようになるかもしれません。いずれにせよ、Z君が阻害感を感じるのはほぼ間違いないです。

ちなみにこの疎外感、僕が何度も中国系留学生に対して感じたことのあるものなので間違いないと思います。ただでさえ留学生とドメ学生って混ざりにくいと思うのですが、キャンパス内で母国語を使うと状況は悪化するばかりなのでできる限り控えよう。。。じゃなくってマジで使用頻度0%を目指してくださいホントまじで。自分自身の英語力とかそういうの抜きで、ふつーに孤立しますので。

2013-12-03

なんだかいつもこんな内容の記事を書いている気がしますが、今日もことばについてです。

以前ちょっと書いたと思うんですが、僕は現在MBAに在学しています。生徒の3割ほどは留学生で、東洋人はその半分くらいでしょうか。で思ったんですが、東洋から来てる人のほうが間違いなくドメの学生より地頭はいいし、キャリアもすごいですね。年齢も平均してドメ学生より5-6くらい上です。

ただ僕自身日本語で経験していることなんですが、第二言語を使うと考えの半分も出ないみたいですね。ぼくが日本語を使うと英語の6-7割しか出ないので、日本から来てるクラスメイトが英語を使うと正直1-3割くらいしか考えが出ない印象です。特にとっさに0.3秒で考えを言わないといけない場合とかあるんですが、そういう場面は特にきついっぽいですね。逆に時間をかけて文章を書けるとまだマシになる印象。

まあこれはしゃーないんですが、これ実はドメの僕らがすごく損してるんですよね。。。

MBAはクラスメイトから学ぶことが非常に多いのは周知のとおりですが、その中でも一番能力と経験がある人口が自分の能力を発揮できないのは誰にとっても得になってないです[1]。授業中の発言なんてみんな似たりよったりなのでどうでもいいんですが、コーヒー飲みながらのふとした会話とかで自分たちの経験やものごとに対する考えをちょろっと話し始めるのをきっかけに仲がよくなったり、「おっ」と思わせられる一言から思わぬ気づきがあったりとかするので、この現状はみんなが損してるなーと思います。

僕が学部で得た一番のものは友人関係と彼らからの学業外の学びなので、そういうランダムなつながりとかきっかけが減る要因っていうのは好ましくないですね。まあどうにもならないことなのかもしれないですが。

最悪なのはバイリンガルでもないとこの事実に気づきづらいことですね。けどまあそれでも滲み出るものはあるようで、実際僕らのクラスで一番頭いいのは日本人のあいつではないかという意見が少なくとも東洋系英語圏の人間(アメリカ・カナダ出身者)の間では定説になりつつあります。実際僕も同意です。

けど9月には自分の考えを英語で表現することが全くもってできなかった日本人の学友が12月には結構考え方を表現できるようになってるのを見ると希望のようなものを感じます。いやー相変わらず偉そうですね、僕(笑)。

[1]競争が減るのでAがとりやすくなるとかはまああるでしょうが。